ドドメイロキコウ2

ドドメイロキコウ2

拗らせ日記ʕ·͡·̫͖

ゆらゆれふわ

らしい。と言うと嫌がられるかもしれない…🥴けど、しんかいさんらしい、素敵な子供時代だと思った。コンクリートのガレージの中で手を叩くのは私もやったけど、リヴァーブの方にしか興味なかった!竹藪に全身全霊の力を込めて石を投げ込むのはまだやったことないので竹藪を見つけたらチャレンジしてみたい。

なんて考えていると幼い時のことを思い出したので書いていこうと思う。音のことじゃないけど…。

小さい頃お風呂に手拭いを持ち込み、湯船の中で泳がせるのが好きだった。端を手に持ち泳がせる。手で持っていない部分が金魚の尾びれのような、ゆらゆらと不規則に動くのを見るのが楽しかった。子供心ながらに美しいと思った。

本物の人魚を見たことはないけど、こんな風に泳ぐのかな。と思っていた。人魚ごっこと名付けてお風呂に入る度に遊んでいたけど、楽しすぎて長湯してしまいのぼせて鼻血を出すことが増えたので人魚ごっこは禁止された。

勿論ちびっこが大好きな手拭いに空気を入れて湯の中に沈めてジュワッと泡を出す遊びもしていた。勢いよくしぼればボコッと大きな泡がでる。

 

物心ついた頃から*1絵を描くのが好きだった。森の中の大きな木のおうちで暮らす動物たちや、月に照らされた大きな葉っぱの上で演奏会をする虫たちや、くじらのお腹の中で泳ぐ魚や海の生き物なんかをよく描いた。お姫様も描いてたな。

何かを見て描くことはほとんどしなかった。記憶を辿ることはあったけど頭の中の想像の世界を描くことが私にとってのお絵描きだった。ぶっ飛んだ発想はなくて凡人のそれだったけど割と楽しい絵を描いていた気がする。

寝る前に絵本を読んでくれていた母や祖母の影響かもしれない。

たまに寝ぼけて訳の分からない話になったりしていたけど(桃太郎が月に帰った時は幼心ながらえええ😨…と思った。)大切な時間だった。

当時自分でも絵本や漫画や簡単な本を読むことはできていたと思う。でもあえて読んでもらっていたのは、目をつむりながら話を聞いて『どんな情景か』『どんな気持ちか』を考えたかったからかもしれない。

空想の世界に想いを馳せるのが好きだった。

いじられキャラとゆうかいじめられキャラとゆうか、私は気付くと幼稚園や近所の友達?にいじられ、いじめられてたことがよくあった。

家でも丁度父が仕事の昇給試験?中だったこともあり常にピリピリ、ちょっとしたことで怒鳴られ、祖父も普段は素敵な人だったけどお酒で別人になることが多々あった。

まだストレスなんて言葉知らなかったけど、それなりにストレスを抱えていた私は空想の世界に避難していたのかもしれない。

そこには私を攻撃する人は誰もいなくて、フワフワしてて楽しくて、居心地がよかった。

始まりこそ『避難』の形だったかもしれないけど、空想の世界に遊びに行くことはいつからか私にとって当たり前のことになり、そこから得る想像力みたいなものに助けられたこともある。そこにすがることもある。あんまりいいことじゃないけど。

私は音楽を聴いた時に、特にクラシック作品の時によく『◯◯みたいな場面が頭に浮かんだ』と言う。専門的なことが分からないから逃げとしての感想かもしれないと思い、時には落ち込んでいたけど何かを聴いて空想の世界を思い浮かべるのはひょっとしたら私にとって当然のことなのかもしれない。と思った。

空想の世界を思い浮かべることが私にとって特別なことじゃなくて当たり前 ならしょうがない。

真面目に真剣に聴こうとすればするほど意識がどうしてもそっちに持っていかれる。

そのままをみる、そのままを聴くことについて、そのままをみることも聴くこともできない私は何度も考えその度に壁にぶち当たった。とゆうか現在進行形でぶち当たっている。

けど今、少しだけ答えに近付いたかもしれない。

どうやってみるのか、聴くのか ではなく、何故みれないのか、聴けないのかの方だけど。

しんかいさんの記事がきっかけをくれた。ありがとう。

 

 

 

 

 

*1:変換で『頃から』と打とうとしたら候補に殺し屋って出てきた!ファンシーな内容なのにひどい!