ドドメイロキコウ2

ドドメイロキコウ2

拗らせ日記ʕ·͡·̫͖

夢と萌え

2022年2月3日に見た夢の話の下書きから

 

飛行機に乗り、どこかの離島へと向かう。

同乗している数十人は学校のクラスメイトなのかそうじゃないかよく分からないけど同年代の男女。

目的地に着き飛行機を降りると小麦色の肌で12頭身くらいありそうなスタイルの良すぎる美しい女性たちが出迎えてくれた。民族衣装みたいな服を着てた。

見惚れていると先生ぽい人が笛を吹き集合の合図をかけたので急いでその場所に向かった。

 

集まった人全員に何かの記号がプリントされた紙2.3枚が配られた。

「今から皆さんにはその問題を解いてもらいます。不正解者にはこの世から消えてもらいます。」

 

ええ…何の漫画orアニメor映画!というのが私の最初に出てきた感想だった。*1

そう告げられ周りのみんながパニックになる…と思いきやみんな冷静に受け止めて問題を解いていた。

私も問題用紙に目を通してみたけど⭐︎と△と●みたいな記号が3つ大きく書いてあるだけで問題文も何もない。終わった…と思い早々諦め隣にいる坊主頭の男子に話しかける。

「解けた?」

坊主の男子は「これはカモフラージュで、本当は試験官を萌えさせないといけないんだ。」

と教えてくれた。

 

 

…。

 

いや無理でしょ!!*2

 

大体萌えってなんだよクソが。ていうか今更萌えとか時代錯誤じゃないのか…

 

と絶望していると坊主頭が「あの子みて…『はじまる』よ」と言った。はじまる の言い方が気持ち悪くてピィっとなったけど坊主頭に言われた方向に目を向けた。

 

ポニーテールの可愛らしい女の子が立っていた。彼女はおもむろにブラウスの上3つくらいのボタンを外していき、先生の方をチラッと見ながら「やだ///見られると恥ずかしい///」と言った。

その瞬間先生の頭からボンッと湯気が上がる。何から何まで昔を思わせる演出だな…と思っていると上から「おめでとう」と書いた垂れ幕?みたいなものをぶら下げたヘリコプターみたいなものがやってきてボタンを外した彼女は救出されていった。

 

えっ 萌えなの?今のはどちらかというとエロじゃないの?エロでもいいの?

 

萌えは無理だけどエロならなんとかなるかもしれない。萌えはキャラクターを選ぶけどエロは選ばない。ゴリ押しでいけるかもしれない。

希望の光が見えてきた。

 

ところで目が覚めた。 

 

「萌え」に変わる今の言葉って何だろうなと寝起きの頭でぼんやりと考えた。

夢の中とは違い、多分萌えにエロは含まれないことを考慮すると「尊い」が近いのかな。いやでも「尊い」の方が「萌え」より位が高い気がする。言葉の響きが似てる「エモい」は全然遠いとこにいそう。「待ってしんどい」は喉の奥の方がギュッとなりそうな感じで苦しそうだし「エグい」は私世代の「ヤバイ」みたいなものって思ってるし、…と考えてみるも私の語彙力では無理そうなのでネットの力を借りてググることにした。そういえばググるももう使われない言葉なんだよな。

ぐぐった結果「蕩れ(とれ)」がヒットした。萌えの更に上をいくらしい

が、私は使われてるのを見たことないので却下。

更にぐぐっていくと「萌えに変わる言葉がない」と嘆いている人たちを見つけた。「萌えは死語だから使えないけど萌えに変わる言葉はない」とのこと。

 

ですよねー、ないですよね。

「萌え」は多分オンリーワンなんだよきっと。

 

個人的な解釈だと「キュンとする」が近いかもしれない。若者言葉で言うと「キュンです」になるのかな、それももう古いのかな…。

でもキュンだとそこから恋愛感情に発展しそうな何かが感じ取れる。のに対して萌えはそれ以上、それ以外の感情になりにくそうなんだよな。

 

エロくなく、尊すぎず、恋愛感情にならないある意味独特の距離感を保ち続けそうな「萌え」って実はすごいんじゃ?

 

まあ実際の「萌え」には定義がないらしく執着したりする意味も含まれてたりエロの要素も入ってるのかもしれないけど、「萌え」という言葉が一般的に使われ出して数10年、縁がなかったのでずっと苦手だった「萌え」のことを今更見直した。多分私は萌えと共存はできないけど存在を認めて尊敬できそうな気はしてる。

 

 

 

 

 

*1:最近バトルロワイヤル(映画)を見直そうかなと思っていたからそうなったのかどうなのか。

*2:私の外見がやばいとか残念とかはさておき、萌えさせるって無理すぎる!私はびっくりするくらい萌えのポテンシャルがない。世界萌えないコンテストがあったらいいとこまでいきそうなくらい萌えから遠いとこにいる。自分を卑下してるとか自虐とかではなく本当に萌えには縁がない。キャラじゃない。自分を封印して誰かを演じ続ける場であったとしても萌えキャラだけは選ばないしなれない。

好きに変わる

苦手なものを克服する とゆうことが少なくなった。食べ物を例にあげると『作り手からしたらそんな無理してまで食べて欲しいと思わない』と誰かに言われたか何かの記事で読んだからだと思うんだけど、確かに嫌々食べるのは食べ物にも作った人にも申し訳ないし、食わず嫌いだったけど食べたら好みになる なんてことは滅多に起こらないミラクルなので無理して克服しようとすることがなくなった。

好奇心から苦手なものにチャレンジすることがたまにあるくらい。長らくなかったけど最近ポポンと立て続けに苦手だったものが好きに変わるミラクルが起きた。

 

ピザに乗ってるパイナップルが苦手だった。

ピザは『しょっぱいもの』で、そこに甘酸っぱいフルーツを乗せるのは納得いかなくて食わず嫌いだったけど何かの機会で食べた時、あれ…おいしい…と思ってしまった。

チーズやソースのこってり具合をパイナップルがうまい具合にさわやかに仕立てあげてくれて甘味と酸っぱさとしょっぱさが結構合ってた…

パイナップルのジューシーさも具として良かった。

 

チーズ系のアイスが苦手だった。チーズは好きだしチーズケーキも好きだけどアイスにする意味がよく分からなかった。『チーズ食べればいいじゃん』とゆう思いと、アイスなのにしょっぱいのはなあ…とゆう思い。一時期流行って巷にチーズ系アイスが溢れていた時もひとつふたつ試したけど私がイメージするチーズのアイス(くどくてあんまりおいしくない)でそれ以来手付かずだった。

最近お友達に『Sof’』のチーズを教えてもらい買って食べてみた。

おいしかった…イメージしていたチーズのアイスや前に食べたチーズのアイスとは違ってまとまり感があった。チーズとアイス、ではなくてチーズアイス、みたいな。チーズのスイーツみたいな感じだった。チーズ特有のくどさやしつこさがなくて上品な甘さでおいしい。ぺろっとたいらげた。チーズ系アイスの概念が変わった。

 

ケーキは好きだけど生クリームとジューシーなフルーツのケーキが苦手だった。

フルーツの水分が生クリームに浸透しそうで、いちごのショートケーキはokだけどみかんやぶどうのショートケーキやなんか、水分量の多いフルーツのケーキが苦手だった。タルト系なら全く問題ない。

それとコンビニでたまにみかけていたスイーツ系のサンドイッチが苦手だった。生クリームが入ってるならパンよりスポンジで食べたいのと、生クリームとフルーツの水分がパンに浸透しそうなのが苦手だった。

どうやら私は 狙ってないのにパンやスポンジに水分が浸透する のが許せないらしい。水分が浸透した、あの『ふよふよ感』がダメらしい。自分でサンドイッチを作る時も防水(?)には異様なこだわりを見せる。

そんな中お友達にローソンの『SANDFULL みかんミックス』を教えてもらい買いに行った。その日は体調悪かったので次の日に食べた。

みかんがまるごと一個の半分ドカンと入っていて衝撃をうけた。わろた。

生クリーム+水分量の多いみかん(キウイとパインも)だし、サンドイッチだし、私の苦手な2種のハイブリッドなわけだけど

 

とてもおいしかった…。心配していたパンへの水分の浸透はほとんどなかった。

長い間私は何を恐れていたんだろう。

みかん半分はインパクトもおいしさも大きかったし色合いやデザインも素敵だったんだけど特筆すべきはクリームだ。

ヨーグルトクリームと書かれていたけどこのクリームがパンとフルーツを包み込んでうまくまとめて三位一体となる。フルーツの邪魔をするどころかフルーツの美味しさを引き立てて、色々とすごかった。お値段も納得。

 

ピザのパインは結構前だけど、チーズアイスとスイーツ系サンドイッチ、短期間で苦手だったものが好きに変わった。新しい世界が開けた。好きが広がった。この感動は結構でかい。

教えてくれたしんかいさんありがとう🧀🍨🥪

いたーい!

脹脛がいたーい!脹脛よめなーい!(下書きしている時は痛かったけど、そこから何日か経ったのでもう治った)

けど書きたいのはそれじゃない。

 

道路に飛び出した幼児を親が平手打ちして、それは躾か虐待か みたいなスレを見た時のコメントで『虐待か躾かって言ったら愛の鞭って感じの躾だろうけど 実際、子供に痛み与えた所で効果は無いよ
自分自身の行動で本当に痛い目を見て本能的に理解しない限り改善しないだろうとは思う』って書いてあって、私はまさにこのタイプなのでドキッとした。

 

頭のいい人、頭のいい子、は、それをしたらどうなるのか頭の中で考えることができて、ちゃんと理解しているから世間で言われていたり親や周りの大人が言う『しちゃいけないこと』には手を出さないんだと思う。リスク回避も兼ねてるのかな。もっと頭のいい人は何故いけないことなのか経験せずとも本質的に考えることができるんじゃないかなと思う。

その点私はバカだ。周りが口を揃えて『それはしちゃだめ』とか『しない方がいい』と言ってくれていたのに無視して実行し自分が痛い目に遭ってやっと本能的に理解できたことがたくさんある。文字通りの『痛い目』にあっても本能的に理解できてなくて更に数回〜数十回痛い目にあってやっと本能的に理解できたこともある…。まだ理解できてないこともあるかも。うう…情けない…。

 

理屈じゃなくて実際やってみないとわかんないじゃん!ってゆう反抗心や好奇心から実行したものもあるし、深く考えず実行したものもある。(実行とか書くと物騒だけど犯罪じゃないよ多分!)なんでそれをわざわざしたのか分からないこともいくつかある。よく聞く『◯◯をしたらダメ!』だけでは子供は理解できないから理由をちゃんと分かるように説明してあげないといけない』ってゆうのは私にも当てはまるのか当てはまらないのか、よく分からない…。

 

知らない人についていかない。を無視して実行した結果私の人生でも10位以内に入る『経験しなくてもいい不幸なアクシデント』に見舞われた。更に、復讐はよくない。を無視して復讐しようとしたら私の人生のベスト5に入る『経験しなくてもいい不幸なアクシデント』を引き起こしてしまった。泣きっ面に蜂どころの話ではなく、泣きっ面にスズメバチの大群だ。自業自得なのもあるし、今は半分くらいは笑い話で人に話せるけど間違いなくドン引きされる内容で、さすがに懲りてもう知らない人にはついていかないと思うし安易に復讐しようとは思わないと思う。

↑を筆頭に全部数えてはないけど痛い目にあって本能的にやっと分かったことの数は大小含め100以上あると思う。『お前ってバカだなあ☺️コツン(愛を込めて軽くでこぴんする音)』のレベルのカワイイおばかさんじゃなく、残念な方のおばかさんだ。

 

散々身を以ていたーい体験をしてくるとメリットも少し出てくる。もう痛い目にあいたくないので色々なことに対して慎重と言う名のビビりになる。人によっては偽善者として映るかもしれない。人を見下さない*1。ポイ捨てしない*2。赤信号は止まる。まあ当たり前のことだし恥ずかしい話だけどビビりになった故に守るようになった。本能的に理解できている自信はない。

あと他の人が同じような痛い目にあって相談された時にアドバイスできる。狭いカテゴリーの話にはなってくるんだけど。そしてそのカテゴリーで相談された記憶はないけど。

 

自分が経験して痛い目にあったからそれはやめた方がいいと強く言える ことが正しいとは限らない。私はその人じゃない。私はダメでもその人なら違う形になるかもしれない。でもそれはやってみるまで分からなくて、私は私の好きな人たちにはしなくてもいい嫌な経験はしてほしくないなと思う。私に『しない方がいいよ。するな。』と言ってくれてた人の想いみたいなのを考えるとごめんなさいと思う。(嫌な経験をしてもそれを経験値に変えてその人の魅力にできそうな人にはもっと揉まれてきて!と思うこともある。)

 

してはいけない。しない方がいい。の先に、人によってはひょっとしたら何かいいことが待っていることもあるかもしれない。

でも私の場合はほとんどの確率でしない方がいいと言われていたことはしなくてもいいことだったし、してはいけないこともやっぱりしてはいけないことだった。

 

でもそれらを経験したから今がある。出逢えた人やものや色々があると思える。ってのもなんか変な話なんだけど。

 

悲しいことも楽しいことも全部その時必要だから起こってる みたいなことを昔何かの本で読んだ気がするけど、対象が『自分』に限り、そうなのかもしれないな。と思う。

 

今でもまだ乗り越えられてないと思うものもあるし、乗り越えちゃいけないことだ、と思うものもある。そこらへんは本能どうのこうのではなく、多分本質の方なのかなとうっすら思う。

 

 

甥っ子は母親の『しちゃダメ』をちゃんと守るように教育されている。いい子だ。でも桃太郎の本を一緒に読んでいる時に少し意地悪をしたくなって、『桃太郎は鬼に何かされたわけでもないのに倒しにいくのってどう思う?』と甥っ子に聞いた。『鬼だから倒しにいく』と答えたので、『何も悪いことしてないのに鬼だからってゆう理由で倒しちゃうの?鬼にも家族とかいるかもしれないよ』と言ったら甥っ子はしばらく考えて『鬼のママが泣いたらかわいそうだから倒さないかもしれない』と言った。母親想いの優しい子だな、と思った。

 

*1:◯◯を嗤うものは◯◯に泣く、はガチ

*2:地球は丸いから悪いことしたら一周まわって自分にかえってくるってタルルート君に書いてあった。結果的にモラルうんぬんになってるかもしれないけど、根本は自分に悪いことがかえってきてほしくないからってゆう…

ツナそぼろ丼とその他いろいろ

小学生の頃の実家は母が専業主婦&祖母もいたのでごはんやお弁当はふたりが必ず作っていて、たまにおやつまで手作りのことがあった。当時クソ田舎だった地元にも普及しだしたコンビニには縁がなく、ないものねだりなんだけどコンビニご飯に強いあこがれがあった。

中学生になり通学途中にコンビニを通るようになった。祖母が亡くなり母も調子悪い時があったり(めんどくさい時もあったと思う)たまにコンビニでお昼ごはんを買うようになりウキウキだった。

中学生か高校生の頃か忘れたけど、セブンで売っていた300円くらいの『ツナそぼろ弁当』みたいなのを好んでよく買っていた。ツナのそぼろと甘い炒り卵と高菜が乗っていて、ごはんは薄味の具のない鶏めしみたいな感じだったと思う。おいしかった。

いつのまにか見なくなった。

2.3年前にふと思い出し無性に食べたくなった。

某くっくぱっどでレシピを探した。ツナそぼろのレシピを見つけて早速ツナ缶と高菜を買いに行った。

高菜は軽く水で洗って細かく刻み、ごま油多め、しょうゆ砂糖さけみりん少々を入れてさっと炒める。(保存がきく)

卵は砂糖を入れて甘めのポロポロの炒り卵にする。

ツナそぼろはレシピを見て作った。しょうゆ砂糖みりん酒を大さじ1か2と、生姜チューブにゅるっと出して軽く煮詰めて炒る。

炊き込みご飯はめんどくさかったので普通のごはんで代用した。

高菜の深緑、卵のきいろ、ツナの茶色、が見た目にも少し楽しい三食丼。

マヨネーズはお好みで。

 

完成した三食丼は懐かしくておいしくて、今も買い物行き忘れた時とか土日のお昼とかに結構作る。

高菜の代わりにしそ昆布だったり残り物のきんぴらだったり、ツナと卵だけの二色になったりもするけど。

何回かツナそぼろ煮詰めすぎてしょっぱくなりすぎた///

 

親が九州地方生まれなので高菜は昔からよく食べていたけど、北関東に来てあまりメジャーじゃないのを知った。

豚足はたまに見かけるけどチルドな上高いし味付けされているやつ、豚耳も味付けされてるやつしか見たことない。生のやつを塩胡椒で焼くのが美味しいのになあ。豚肉に力を入れる地方なのにいかがなものか…。

牛すじも(おでん用のやつじゃなくて赤身の方)ほとんど見ない上国産和牛のしかなくて超高い。

広島菜漬けに至っては一度も見ていない。白菜漬けより少し苦味があるけどおいしいのにな。

はったい粉を探した時みつからなかったけど、こっちでは麦こがしって呼ばれてるみたいで、それは売っていた。

今川焼きはたいこやき で売られていた。

 

あと何より私が育ってきた味付けが全体的に『甘い』とゆうのが衝撃だった。砂糖の甘さとゆうより出汁の甘さだと思うんだけど。どん兵衛の関東版と関西版が分かりやすいかも。

 

こんなこと書いていたら ちからのうどん (おもちの乗ったちからうどんじゃない)のスープを一気飲みしたくなった。

 

 

 

 

富士山

山に関してはテレビでマッターホルンを見るまでどれもただの山じゃんと思っていた。山に囲まれた地域で長いこと暮らしていて、山は見慣れていた。当たり前の風景だったので特別美しいと思うこともほとんどなかったけど、初めて画面越しのマッターホルンを見た時山に対する考え方が変わった。とても惹きつけられた。すごく綺麗だと思った。

マッターホルンは好きだけど他の日本の山には相変わらず無関心だった。富士山も、マッターホルンには敵わないよなあとか思っていた。

…けど、新幹線の窓越しとはいえ初めて生の富士山を見た時ギャフンとなった。富士山はやばかった。青くててっぺんは白くてでっかくてどっしりしていてめちゃくちゃかっこよかった。いつか窓越しじゃくてちゃんと見たいなと思った。

マッターホルンと富士山はすごい!世界でならマッターホルンが一番好きだし日本でなら富士山が一番好きだし、もうさすがにどの山を見ても感動はしないだろうと思いながら週を跨いで榛名山赤城山に行った。勿論登ってはなくてバイクでいけるとこまでだけど、榛名と赤城には湖があってそれなりに綺麗だったけど感動はしなかった。空気は美味しかったし自然の音は心地よかった。

その翌週妙義山に行った。するとギザギザな山肌がかっこよくてうっかり感動してしまった。してやられた。漠然とこの山すきだ、と思った。

妙義山はかっこよくてすごく好きだけど、感動したのと同時に『やっぱり富士山生で見たいなあ』とゆう思いも強くなった。

 

 

そして先週その願いが叶った。貼るカイロを4箇所に貼って厚着をして準備はばっちり!バイクのタンデムシートに乗り朝4時半のまだ暗い中出発した。予定通りいけば片道4時間半の距離。

寒いけどまだ耐えられる寒さだった。星がとても綺麗で、空ばかり見ていた。(横見ても真っ暗で何も見えない…)コンタクトをつけても視力の悪い私だけどオリオン座の中の星までくっきり見えた。

小一時間ほど走ったとこで空の端っこが少し明るくなり始めた。子供の頃徹夜か超早起きして見た夜明けの、今から世界が始まる感じのワクワク感を少し思い出した。うっすら山影が映し出され、段々と星が薄くなっていく。

毎日起こっている当たり前のことなんだけど、富士山みる!とゆう目的もあってかその光景にえらく感動した。空気がとても澄んでいてまだ薄暗いけどしっかりと山の形が分かる。水色から徐々にオレンジがかってくる空の色が綺麗で、方向的に反対だったけどしょっちゅう後ろを振り返り空を見ていた。

峠道に近づき寒さが厳しくなってきたので途中コンビニに寄って暖をとった。コンビニから出るとしばらく峠道が続くので(私は運転できないけど)気を引き締めた。

空がだいぶ明るくなり星が見えなくなった。太陽が出始めたのは周りが紅葉した山に囲まれている道を通っているあたりだった。

朝焼けに照らされた山々の、赤や黄色やオレンジの紅葉がめちゃくちゃ綺麗だった。どこかに止まって写真を撮りたかったけど、この辺りからくそ寒くなってきたので少しでも早くこの寒さを抜けるために止まるのはやめておいた。

でも本当に綺麗だった。その日2度目の感動。

色鮮やかな山を抜けると標高1000m超えの看板が見えた。どうりで寒いわけだ。少し前までは雲ひとつなかった空が雲に覆われている。寒いとゆうか痛い。ずっと震えていた。中でも膝と爪先がやばかった。温度は2℃くらいだったと思う。

冷えからトイレも近くなり2回コンビニに寄ってもらった。背中と腰に貼っていたカイロを膝に張り替えると少し痛さがマシになった。

ヘルメットの透明な部分?はずっと曇っていて景色があまり見れなかった。残念😢

開けたとこを抜けてしばらく進むと標高1400mの看板が見えた。そして更に進むと北海道のような場所に出た。牧場がたくさんあって平地が広がっていた。この頃には雲も消えて太陽もガンガン出ていたので少し寒さとゆうか痛さも和らいでいた。お日さまの力って偉大。

今回は富士山に行くことしか考えてなかったので、道中何があるかとか全く調べてなかった。調べてなかったのが幸いして、道中で八ヶ岳が見えるのを全く知らなかった。

前方になんかかっこいい山あるなあ、と思ってはいたけど、近づくにつれてこんなにかっこいい山だと思ってなくてびびった。思わずちょっと止めて!!と叫んでしまった。

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もうとにかく美しかった。早朝の空気が澄んでいそうな時間帯、空の水色と雲の白と牧場?草原?の緑と紅葉した木々と八ヶ岳の色のコントラストとか、形とか雰囲気とかめちゃくちゃ綺麗だった。興奮しまくりだった。八ヶ岳なんて聞いたことあったかもなあ、くらいでその場でぐぐったんだけど、日本で2番目に好きな山になった。妙義山は3位になった。その日3度目の感動。

富士山を見に行っているはずなんだけど、なんかもう八ヶ岳で満たされた部分があった。それくらいよかった。

でも目的は富士山なので更に進んだ。県外ナンバーの車やバイクも増えてきた。

南アルプスかな?右手に見え始めた。かっこよかったけど八ヶ岳の方が好きだと思った。

すると斜め左前くらいに小さくてうっすら白い影が見え始めた。

『あれ富士山かも!!!』叫んだ。山々に囲まれている富士山らしき白い影は見えたり見えなくなったりする。その方向をしっかりと覚えて目で追う。テンションが上がる。

少しずつ大きくなってくる白い影、ああ、富士山だ!と確信するまで結構時間がかかった。八ヶ岳に感動していたのを忘れて富士山に興奮し始める。

けど不思議なことに富士山は近づくにつれて白い影は大きくなっていくけど色が薄くなっていった。市街地に出ると富士山だけでなく割と近くの山にもガスがかかっているのかぼんやりし始めた。そのうち近くの山に埋れて富士山は見えなくなった。テンション下がりまくり。交通量も増えてくる。目的地まで30分を切っている。こんな中で本当に富士山綺麗に見えんのかな…しきりに富士山の方向を見ていたけどやっぱり見えない。富士山を隠している山も、夜明けの時に見たはっきりとした山の形とは比べ物にならないほどぼやけている。不安が募る。

Googleマップのナビに従い市街地を抜けて峠道に差し掛かる。トンネルを抜けるらしい。

トンネルを抜けると富士山が見えるのかな。だとしたら私のトンネル効果はトンネルを抜けるとそこは富士山だった。になるのかもしれない。とか思いながらトンネルを抜けてもすぐ富士山は見えない。不安になりながら峠道の下りに差し掛かった瞬間

 

富士山みえた!!!!!!!!!!!!

 

さっきのぼやけたのは何だったのかと思うほどくっきりとはっきりとでっかい富士山が山の間から顔を出した。思わずきゃーー!と言ってしまった。ぎゃーー!だったかもしれない。

この日4度目にして最高潮の感動。少し泣きそうにすらなった。きゃー!かぎゃー!以外は富士山やば!!としか言葉が出てこなかった。

止まれなかったけど、しっかりと生富士山を目に焼き付けた。

 

段々と周りの山が消えていって富士山オンリーになってきて、少しして目的地の河口湖に到着。9時半ぐらいだったと思うけどすでに観光客がたくさんいた。バイクを止めて湖に近い道に降りると湖に続く階段があったのでそこに降りて座って富士山を眺めた。風が出ていたので逆さ富士は見えなかったけど、なんかもうTHE富士山って感じだった。

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ずっと見ていられそう、と思ったけどやっぱり人混みは苦手なので30分程富士山眺めたり写真撮ったりした後近くの紅葉回廊を通ったりして(まだ紅葉ピークじゃなかった)満足したので河口湖から20分くらいの場所にあるハンバーガー屋さんに行って並んで結構待って食べて帰った。ハンバーガー美味しかった。

帰り道段々見えなくなっていく富士山をちょくちょく振り返ったりミラー越しで見ていた。完全に見えなくなると少し寂しくなった。

帰りは奥多摩ルートで帰った。歩いてる人がたくさんいた。

 

河口湖から見る富士山も間違いなく綺麗なんだけど、トンネルを抜けて山の間から見えた富士山が一番感動した。星の美しさや夜明けの美しさも、山の紅葉も、八ヶ岳も感動したけどやっぱり富士山のラスボス感は凄まじかった。トンネルを抜けて山の間から見えた富士山は一生忘れないだろうなと思う。

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