ラヴ!
私が思っててもうまく言えないことをしんかいさんの言葉で上手に言ってくれてホクホク。しんかいさんありがとう。
昔ときめきメモリアルとゆうゲームをプレイした時に、ありえないシステムにショックを受けた。主人公の男の子が周りの女の子を落とすゲームなんだけど、目当ての女の子を落とすにはなんと『主人公に対する他の女の子からの評価』が高くないといけないのだ。他の女の子からの評価が高い=人気者だと落としやすくなる。なんとゆうリアル。
私は恋愛対象としての人気者が苦手だ。私は孤独な人が好きだ*1。私にだけ心を開いて欲しいと思うのは(多分)卒業できたけど、苦手なのは『人気者』とゆう付加価値がもれなくついてきて、私はその人自身を見たいのに、『人気者』がそれを許してくれない。
私は自分の目に自信がない。多分人気者と付き合えば彼のことを『人気者な彼』としてしか見ることができず、お金持ちな人と付き合えば『お金持ちな彼』としか見ることができない気がする。イケメンな人と付き合っても多分同じ。
そういった世間一般的にプラスと取れる要素はきっかけにすぎず、ひょっとしたらその奥にある彼自身を好きになることもあるかもしれない。でも彼自身を見る上で絶対邪魔になってくるのだ。
私はその人自身を見て好きになりたい。愛したい。人気者になるのもその人の持っているものとか力とか努力の結果とか、そういったドラマがある上での魅力なのかもしれないとも思う。
そこも含めて好きになれたらいい。愛せたらいい。でも私の場合は知らず知らずのうちにそこありき になりそうで怖い。
昔付き合った同学年の男の子は目立たなかったけど当時の私好みの顔一位だった。お気に入りの男の子だった。フラれる時に感じた気持ちは、たいして好きでもなかったのに顔がいいからもったいないとか惜しいとか、小さい子が普段使ってないおもちゃを他の子に使われそうになった途端『それぼくの!!使わないで!!』となるような、なんかそんな邪道な気持ち。本能でこれはいらない、じゃまな感情だと感じた。そしてその感情を持つことに恐怖を感じた。愛に対してそれなりの思想をもっていたにもかかわらず、彼の顔だけ好きだったとゆう自分的に認めたくない事実を認めざるを得なかったから。あと話それるけど、お気に入りの人と、憧れの人とは付き合うもんじゃないとも学んだ。ピカソの記事で書いたようなメスになってしまう。
今回は自分の立場を考慮せずに書いた。ゴミみたいな今の私でも、天変地異で美貌やら地位やら何やら、何かしら手に入れてハイスペックな私になれたとしても、その人自身を好きになりたいと思う気持ちは変わらない自信がある。
色々書いたけど、結局しんかいさんの記事のこの3行がすべてなんです。
私はあなたを愛する。
私はあなたを、あなたがあなただから、愛する。
個である私が個であるあなたを愛する。
ラヴ。
*1:オープンな孤独じゃなくてなんか心の奥にあるような闇を抱えた孤独